騎士を打ち破った風車
「キホーテ卿は何故風車に向かい、そして負けたのだと思うかい?」
「キホーテ卿?」
イドルフリートの唐突な問いはいつものことだった。今までの話と繋がっているわけでもなければ、そもそも今の今まで会話していたわけでもない。珍しく真面目に海図に向かっていたかと思えば、目線すら上げもせずにこれである。
キホーテ卿。どこかの貴族だろうか。卿と付くからにはそれなりの位はあるだろうが、生憎コルテスの記憶にはなかった。他国の貴族であろうと失礼のないようにと覚えさせられたはずなのだが、と首を捻る。案外最近台頭してきた貴族なのかもしれない。
「ああ。ラ・マンチャの騎士だそうだ。もっとも、正体は違うそうだが」
「そうだろうな。さすがに俺も隣地方の上位貴族を忘れたりはしない。詐称しているのか?」
「いや? 思い込んでいるんだそうだ」
「はぁ?」
貴族など思い込みでなれるものではないだろう。それも敵でも怪物でもなく風車に向かったなど、正気ではない。
相変わらず海図からイドルフリートの視線は離れない。コンパスがくるくると足を広げたまま進んでいく。やがて目的地の港に針の先が触れたが、納得がいかなかったのか針はもとの場所に戻された。
「イカレタ郷士が騎士を騙り、タヌキを連れてロバで旅をする話さ。昔、読んだことがあってね」
「……なんだそれは。流行りの騎士小説か? 聞いたことがないぞ?」
一応目に着いた本は読み漁り教養をつけていたつもりだったが、時折イドルフリートはいとも簡単にコルテスの知りえないことを口にする。今回もその類なのだろう。知識欲が深いと自負するコルテスは目の前にチラつかされたそれに噛みつこうとした。しかしようやく視線を海図から離したイドルフリートは、ああ、と零すと、コルテスにとって残念な言葉を続けた。
「そうか、まだ騎士道小説が流行っていたか。忘れてくれ、まだ先の話だ」
「またお前はそうやって訳のわからない話を……。今度は文学者にでもツテがあるのか?」
「さぁな」
前回も最近発表された論文の話をしていたかと思えば、重商主義などという訳のわからないものを延々と説かれたのだが、今回と同じように唐突に先の話だとすっぱりと切られてしまった。
集中力が切れたのか、イドルフリートはコンパスを畳み海図に背を向ける。向かい側のベッドに腰掛けているコルテスに一瞬眉を顰めたが、コルテスは何も見なかったことにする。
「まぁ、精々君もキホーテ卿のようなことにはならないでくれたまえよ?」
「だから、誰なんだ、キホーテ卿は。聞いていたら、何かの物語の登場人物なんだろう?」
「そうさ。廃れた風潮に憑かれた低能だ」
「はっ、俺が世相を取り間違うと?」
「まぁ、その低能は自身が皆の憧れを一身に受けるような人物だと思い込んでいたようだが?」
くるくると海図を纏める。もう今日は考えるつもりがないのだろう。まだまだ出港までに日付はある。一向に構わなかったが、まだ日が高いというのにあまり褒められたことではない。
ついに席を立ったイドルフリートに一言投げつけようとコルテスも腰を上げたが、何か口外するよりも早くイドルフリートが口を開いた。
「ただ、夢から覚めると彼はそのまま死んでしまったそうだがね」
精々気をつけたまえ、コルテス将軍。
ぱたりと扉は閉ざされた。
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それはキホーテ卿があまりに古臭く、そして風車が真新しかったからさ
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