四十雀飼の妄想 前


 コルテスにとってエーレンベルクとは、長く連れ添った幼馴染のような悪友だった。
 最初の出会いはとある貴族の夜会でのことだった。かなりやんごとない身分の、それこそ王家に近い位を持った人物の主催であったと記憶している。エスパニアの下級貴族であるコルテスと帝国の一貴族であったエーレンベルクが出会う為には、最低限その程度の規模が必要だろう。国を跨いで開かれる夜会というものはしばしば催されていたが、エスパニアと帝国では少々距離があり過ぎた。



 まだ幼かったコルテスにとって、夜会とは退屈でつまらないものだった。ようやく社交界に顔を出すようにはなったものの、まだまだ遊び足りない子供である。同じように大人の世界で行き場を失くした子供を求めて、大人とは違う視界で会場を練り歩いていた。
 普段は飲めないワインを一口含み、適度に体を温めて中庭へ出る。もう夜の外は肌寒い季節だったため、そこにはモノ好きな大人くらいしか見受けられなかった。
 美しく整えられた庭園に一つのオブジェとして設置されたベンチに腰掛ける。恐らくどこかの高名な芸術家、もしくは偶然貴族に気に入られた芸術家の作品であろうそれの上で、何の有難味を感じることもなくぞんざいに足を組んだ。
 夜の闇の蚊帳に包まれている中庭は何かと都合がいいらしく、興味はあるものの未だ手を出す気にはなれない艶っぽい声が時折風に流されて耳に届く。嗚呼、やはりここにも居場所はないのだ。そう思ってコルテスが場所を変えようとした、その時だった。

「そこか。一体何をしている」

 耳に心地よいボーイソプラノ。どこか鋭さをもったネイティブとは異なる発音のエスパニア語。
 コルテスが伏せていた顔をあげると、そこには金の髪にエメラルドの瞳を嵌めこんだ、人形のような少年の姿があった。

「……まだ子供相手には拙かったかな? 一応侯にご挨拶に伺った時には咎められなかったのだが」
「いや、通じている。ただ、俺以外の子供が珍しくて」

 コルテスの返事がなかったことを訝しんだのだろう、異国人であろう少年は少し困ったようにして顎に手を軽く当てていた。コルテスは最後に一言謝って、ベンチから少し腰を浮かし端へ寄る。大人二人掛けのベンチはまだまだ小さな子供二人には大きすぎた。

「Freut mich, 私の名はイドルフリート・エーレンベルク。イド、と呼んでくれ給え」
「はじめまして。 エルナン・コルテスだ」

 聞き慣れない言葉。恐らくラテン系の言語ではないのだろう。堅い発音の言葉はコルテスにとって未知のものだったが、何となく意味は掴めたような気がした。

「コルテス君。自分の顔を売っておくことも大事だと思うが、我々には睡眠が必要だと思わないかい? 男としては見向きもせずに子供としてちやほやされるばかりなら、Mutterの胸にでも埋もれて眠っている方が余程価値がある」
「……つまらないという意味なら、概ね同意する」

 ああ、こいつはきっと異端者なのだろう。そういえば滅多にいなかったというのに最近では集団的に発生していると聞く。カトリックと呼ばれる旧教が篤く信仰されているコルテスの故郷では声高に色欲を叫ぶ者はいなかったが、恐らくこのエーレンベルクの住む場所では異なるのだろう。
 弾劾し改心させるべきだと叫ぶほどコルテスの信仰心は篤くない。故に特にそれに触れることもせず、このぺらぺらと口のまわるエーレンベルクを観察していた。

「なんだ、若いのに。枯れているのか?」
「俺たちの年齢では若いとは言わず幼いと言うんだ。部を弁えないと痛い目を見るぞ」
「部を弁えているような者はこっそり抜け出してはこないと思うのだが、違ったかな?」

 多かれ少なかれ夜会に不満を抱きそれを露わにした時点で悪いのだと言うエーレンベルクに、コルテスは口をつぐんだ。
 確かにコルテスとてわざわざ保護者の目を逃れるようにして抜けだしてきたのだ。後ろめたくなければ堂々と抜けだしてくればいいものをわざわざ手間をかけたという辺り、自覚していなかったわけでもない。

「違わないが……、ばれなければ違うだろう」
「じゃあ私も公言しなければ済む話だ」

 おおよそ子供らしくない発言だと息を吐く。少々耳に障るものの不快とまでは言い難い発音といい、この早熟らしい少年はどこか自分を一回り上の年齢だと勘違いしているのではないだろうか。

「まぁ、それに。私が社交界で名を馳せる頃には萎れているだろう爺婆に媚を売るなど、価値があるなんて到底思えないからね」
「ほう? 顔を売るのが大切なのではなかったのか?」
「老害が? この私が顔を売る相手とするなど荷が勝ち過ぎる。考えるまでもない」

 そこでエーレンベルクは一度言葉を切り、勢いをつけてベンチから飛び降りた。くるりと短い指通りのよさそうな金の髪を靡かせターンする。まだベンチに腰掛けているコルテスの正面に相対したエーレンベルクは、芝居がかった仕草で優雅に一礼した。太陽を閉じ込めたような金が、薄暗い夜の闇に際だって映える。

「私が顔を売るのは、君のような見る目があり、地位のある低能さ」
「……ちょっと待て、低能とは俺のことか」
「他に誰がいる?」
「貴様っ」

 激昂するコルテスに背を向け、けらけらと笑いながらエーレンベルクは駆けだした。決して華やかな夜会が催されている室内の方へは寄りつこうとはせず、中庭を駆けまわる。
 もちろんコルテスは言われたままにするつもりなどない。捕まえて締め上げてやろうと思うものの、中々エーレンベルクは俊敏だった。

「ほら、こちらの方が余程有意義で、かつ愉快だ!」

 確かに、とうっかり同意してしまったことは、今でもエーレンベルクに秘している。





 コルテスにとって法律とは、幼い頃それを生業とすることを目指した憧れの塊だった。  それを諦めたのは何時頃のことだっただろうか。兎も角かなり若いうちであったことは覚えている。切欠の一つとなったと胸を張って断言できるのは、家に無断で放浪した数週間のことだろう。そして、幸か不幸か、最大の理由になったのはその直後の出来事だった。



「はぁ? 船旅に出たい?」

 胡乱な視線を隠しもせずに、エーレンベルクはコルテスの発言を復唱した。

「そうだ。お前、確か航海士になるとか言ってただろう?」
「確かにそうだが……、君は、法律家になるのではなかったのかな」
「土地を、民を知ることは悪いことじゃないさ。まぁ、あの頭でっかちが易々と了承するとは思っていないが」

 一応貴族ではあるが下級であるが故に、思われている以上に余裕はない。階級を明らかにして巡るには、少々路銀がかかり過ぎた。加えて、私用で頻繁に領主が屋敷を空けることもあまりよろしくない。まだエルナンはコルテスを継いではいなかったが、それは決定に近い予定だった。
 ラテン語に嫌気がさし始めていたこともある。いくら同じ系統の言語とは言え、書き言葉と話し言葉には大きく違いがある。しかし、学問を志すならば、ラテン語の壁を越えなくてはならないのである。難しいとは矜持にかけて言うつもりはなかったが、面倒なことに変わりはなかった。

「費用は自分で算出する気か?」
「……わかっているだろう」

 わざわざ旅行の報告のためだけに遠路遥々エーレンベルクを呼び出したりなどはしない。エーレンベルクもわかっていて敢えてコルテスに口に出すよう促した。

「まだ俺が自由にできる資産は少ない。……一般人の路銀二人分くらい、お前の方で誤魔化せるだろう? 出資だとでも思って、頼みたいのだが」
「……やれなくも、ないが。二人?」
「ああ。俺と、お前の分だ」

 自分とは違い、エーレンベルクには自由にできる資産があるとコルテスは見ている。上流とまではいかないが、下級とわざわざ形容されることのない家柄な上、イドルフリート以外に満足にエーレンベルク家を継ぐことのできる者がいないらしいと聞いていた。巨乳巨乳と騒ぐ割に、自分ほど女に手を出さないことも知っている。家を切り盛りする資産を除いたとしても無駄な浪費は確実に少ないだろうから、所謂ポケットマネーは潤沢にあるはずだと見ていた。
 まさか同行を想定されているとは思いもよらなかったのだろう、エーレンベルクは少し思案するような顔をしてから苦笑を零した。

「可笑しなことだ。私はまだ君に出資する話しか聞いていないが?」
「それはすまない。イド、どうか私をあの海原へと連れて行ってくれないか」
「気色が悪い、やめろ」

 先ほどよりも嫌そうに顔を歪めているが、存外エーレンベルクが不快に思っていないことをコルテスは知っている。それを証明するかのように、エーレンベルクは赤くなった耳だけを隠し忘れてそっぽを向いて口を開いた。

「……まぁ、どうにかして工面はしてやろう。ありがたく受け取り給え」
「ああ、助かる。いつか、必ず返す」
「期待しないで待っておくことにするよ」
「何なら利息でも計算しておいてくれても構わないが?」
「一体いつになったら君にそんな余裕ができるんだ。今まで通り、貸したまま耳を揃えて返してくれれば構わない」

 人を食ったような笑みを浮かべ、エーレンベルクは再び苦く笑った。
 コルテスがエーレンベルクから金を借りることになるのはこれが初めてではない。しかし、毎回律義に返済していることと、その使用途にエーレンベルクが納得していることもあり、特に目立った軋みはなかった。
 金を借りるためにコネを作ったのだとコルテスを邪推する者もいたが、当人同士にそんな意識はない。資金の調達するのがエーレンベルクなら、娯楽の調達をするのはコルテスなのだと、コルテスはこの奇妙な関係を気に入っていた。
 エーレンベルクは用は済んだとばかりにひらひらと手を振って、コルテスに断ることなく退出した。





 コルテスにとって将軍という位とは、望んで手に入れたものの煩わしいというパラドックスなものだった。



 エーレンベルクとの短い船旅はコルテスにとって大きな転機となった。「新大陸」という言葉はコルテスの興味を大きく惹き、あれほど熱望していた法律家への途をころっと忘れさせ、エーレンベルクと共に海へ出たいと思わせる力があったのだ。法律家になる為の息抜きのつもりが、法律家になることを諦めることになろうとは、船旅に出てみるまで思ってもみなかった。
 コルテスが夢を叶えるよりも一足先に航海士という夢を掴んでいたエーレンベルクとの航海は、コルテスが覚えている限りで一番心地よく快適な船旅だった。昔の好などではなく、純粋にその腕を手放したくないと思うほどエーレンベルクが整えた航海は魅力的だったのだ。もう何十年も海と戯れ、戦ったのだと言われても違和感のないほど、素晴らしいものだった。
 航海を終え、少しばかり無断の外出を咎められコルテスが進路を大きく変えてから、コルテスに公に海へ出る話が回って来るまで、想定していたほどの月日はかからなかった。



「ああ、そうだ。航海士に推したい奴がいる。一人分……否、そいつ一人で十分だ。航海士の欄は空けておけ」
「エルナン様。どれほど有能な航海士がいたとしても、一人に任せることはできません。船頭多くしては山に登るとも言いますが、万一その航海士が死ねば大海原を彷徨うことになります」
「二人いても三人いても死ぬ時は死ぬだろう。それに俺とてからっきしというわけでもない」

 書類を持ってきた部下は、不承不承ではあったがそれ以上コルテスに反論することはなく、一度目を伏せてからコルテスを見つめ直した。

「ではエルナン様、何方の名前を?」
「イドだ。イドルフリート・エーレンベルク。お前も覚えているだろう? 少々遠い他国の人間だが、前例がないわけでもないはずだ」

 まだ記憶に遠くない航海を思い、コルテスは少し口の端を緩めた。そろそろ屋敷に着いてしばらくして認めた、謝礼の手紙が届く頃だろう。まだ用意してもらった金は揃えきれていないが、そう遠くないうちに返せるはずだ。
 次に会うときには貧乏人などとは呼ばせない、と一人夢想を馳せていたコルテスは、しばらく言いにくそうに立っている部下に気がつかなかった。

「……エルナン様」
「ん? どうした。すまないが手紙の準備をしてくれないか。前の手紙に書けばよかったんだが、流石にこんな直ぐに話が決まるとは思わなくてな。事後承諾になるかもしれないが、奴もしばらく航海の予定はないと言っていたからな。問題あるまい。ああ、もしかしたら次に会う約束の方が早いかもしれないな」
「エルナン様。その、先日お出しになった手紙の件ですが……」

 すっと積み上げられている書類の横に置かれたのは、見覚えのある封筒。そこに記された文字はコルテスのものに違いなく、そしてそれは珍しくエーレンベルクに直接手渡すことなく郵送を頼んだものだった。

「何故それがここにある?」
「エーレンベルクという家は、もう存在していませんでした」
「……何?」

 コルテスは思わず眉を顰めた。
 確かに家を率いるべきイドルフリートを連れ出したが、前もって知らせていたし無策で遊び呆けるほどエーレンベルクも馬鹿ではないだろう。
 原因として考えられるのはコルテスとの航海の間にエーレンベルク家に何かあったという可能性だが、それはあまりに現実味がなかった。

「つい最近の話ではありません。……あまりこちらの方まで情報は流れていませんでしたが、どうやら選帝侯に何かあったらしく、少しばかり騒がしかったようで。恐らくは、その時に」
「では奴は幽霊だったとでもいうのか? ふざけるな、俺は奴と街にも行ったし旅にも出たし、航海にも出た! 誰の目にも見えていたし、透けてもいなかった!」

 声を荒げたコルテスに委縮したのか、淡々と説明していた部下は軍服をきゅっと所在なさげに握って後ずさる。しかし、もちろんコルテスに逃がすつもりなどなく、睨みつけるようにして続きを促した。

「……っ、ご、ご本人はご無事だったのかもしれませんが、御家は取り潰しに……、恐らく、爵位も剥奪されているか、と」
「追放でもされたと言うのか! 褒められたことではないがこの家で賄えきれない資金を借りたことすらある! 確かに首が回らなくなるほど多額ではなかったが、爵位もないような者が用意できるものとは到底思えない額だぞ!」

 取り潰されたのなら財産も没収されているはずである。確かにエーレンベルクは器用な男ではあったが、突然庶民に落とされて直ぐに富裕層に食い込めるのかと問われれば、それは不可能だろう。恐らく、そんな芸当ができるのは神だけだ。

「……航海士の件は、後回しだ。俺は奴以外の航海士など認めない」

 コルテスは処理しなければならないはずの書類をひとまず放置して、脇目もふらず屋敷を飛び出した。



 ねっとりとした匂いに甘い娼婦の艶やかな声。まだ日も落ちていないというのに、その辺り一帯は薄い靄のようなものがかかっているように薄暗かった。
 コルテスとイドルフリートは普段アポイントを取ってから顔を合わせているわけではない。娼館の建ち並ぶ通りのとある宿屋、そこに別れる前に暫定的に決めた日に落ち合っていた。今まで予定を前倒してまで会う理由もなく、それがいかに不便であったかなど気づきもしなかった。

「ねぇん、彼とソフィアならどちらが賢いかしら?」
「ソフィアにもよるんじゃないかしらぁ? でも、そうねぇん……彼ならどんなソフィアも敵わないんじゃないかしらぁ? あらぁ? エルナン様ぁ!」
「今忙しい、後にしてくれ」

 腕に絡みつくようにしな垂れかかってきた馴染みの娼婦が煩わしい。コルテスが乱暴に払うようにして退けると、娼婦の中でも矜持の高い彼女たちは途端に目尻を吊り上げた。

「ちょっとぉ! いくら急いでるって言っても酷いんじゃなぁい?」
「ああ、悪かった。悪かったから早く通してくれ」
「つれないわねぇ、何を急いでるのかぁしぃらっ」

 娼婦はコルテスの両脇を固めて進路を阻む。一人が楽しそうに人差指でコルテスの鼻に触れたが、火に油を注ぐだけで益々コルテスの機嫌は悪くなっていった。

「そんなに俺の邪魔をしたいのか!」
「えぇー、エルナン様ぁ、そんなこと仰るんですかぁ? 仕方ないわねぇ」

 最後にコルテスの顎を一撫ですると、今までひきとめていたのが嘘のように娼婦たちは踵を返した。ようやく先に進めると、コルテスは待ち合わせに使っていた宿へ走りだす。その背中を見送りながら、娼婦は蜜を絡めたような声で囁くように呟いた。

「あーぁあ。せぇっかく彼のフェアレディのお話を教えてあげようと思ったのにぃ」










 末端ではあったがとある選帝侯の後見をしていたエーレンベルクは名こそ馳せていないもののそれなりの地位を築いていた。皇帝の選出にも関わる選帝侯を後見する家の後継者として、イドルフリートは早くからいろいろな貴族と顔を合わせていた。そのほとんどが自分よりも高い位を持つ者で、さらに同年代の子供の存在などなかった。

(……ほう。サボりか)

 テラスから中庭を一望する。今日の夜会は国を跨いであらゆる貴族に声が掛けられており、恐らく欧州中のほとんどの貴族が集められていた。
 だからこそ普段とは異なりイドルフリートと同年代の子供の姿もあったのだが、運が悪いのかイドルフリートとは違い子供というものを満喫している子供ばかりで、大人との会話に慣れた者たちばかりだった。託児所のような騒がしいそこを抜け出してはみたものの、やはり気を張らなければならない貴族たちの間にいるのも疲労がたまる。外の空気を吸おうと偶然テラスに出て、イドルフリートは中庭に座る子供の影を見つけた。

「あそこに居ないということはそれなりに頭が回るということか……?」

 もしくは、家が有力すぎるのだろう。力のある親の力ない子供は恰好の鴨であるし、駆け引きの世界に慣れた子供なら煩わしくて仕方がないはずだ。
 兎も角、何らかの意味で託児所もどきに犇めく子供とは違うはずである。エーレンベルクは有力貴族を探す遊びを止めて、目立たぬようにテラスから中庭まで降りて行った。
 然程距離は離れておらず、息が切れるどころか体温も上昇しなかった。夜風が寒さを連れてきはじめた気候では少しばかり当てが外れた気分になる。
 中庭までは簡単に辿り着いたものの、思った以上にベンチはたくさんの場所に設置されていた。出会いの場でもある夜会は結婚に縛られた紳士淑女諸君が自らの愛に正直になる。恐らく一番正直になっているであろう行為を、エーレンベルクは一瞥するだけして目当ての子供を探した。

「そこか。一体何をしている」

 そろそろ片手では足りない数のベンチを覗きこもうとした時、エーレンベルクは目当ての人影を見つけた。所在なさげに、つまらなさそうにベンチに身を預ける少年は、何が気に障ったのかただじっとエーレンベルクを見ていた。

「……まだ子供相手には拙かったかな? 一応侯にご挨拶に伺った時には咎められなかったのだが」

 少々癪だが母国語でないのだから仕方がない。子供だからと多少容赦してもらったのかもしれないし、子供の未発達な耳と語彙力では伝わらなかったかもしれない。共通言語と言えばラテン語くらいしか思いつかなかったが、流石に自分も拙いし少年もわからないだろう。どうしたものかとエーレンベルクが思案に沈もうとするよりも早く、少年は焦ったように口を開いた。

「いや、通じている。ただ、俺以外の子供が珍しくて」
(確かにそうだろうな)

 ああ、外れかもしれない。
 エーレンベルクの脳裏にそんな言葉がよぎった。あの喧騒を嫌ったのはこの少年自身ではなく、きっと両親の、もしくは保護者の誰かなのだろう。
 しかし此処まで出向いたというのに何の収穫もないというのもまたつまらない。揶揄する相手にくらいはなるだろうかと、エーレンベルクは綺麗と評判の笑みを浮かべた。

「逢えて嬉しいよ。私の名はイドルフリート・エーレンベルク。イド、と呼んでくれ給え」
「Mucho fusto. エルナン・コルテスだ」

 子供にはまだ魅力がわからないのだろうか。ご婦人方ならば競って甘やかしたがる笑みを安売りしてあげたというのに、少年ことコルテスは特に反応を見せなかった。

「コルテス君。自分の顔を売っておくことも大事だと思うが、我々には睡眠が必要だと思わないかい? 男としては見向きもせずに子供としてちやほやされるばかりなら、Mutterの胸にでも埋もれて眠っている方が余程価値がある」
「……つまらないという意味なら、概ね同意する」

 今日の夜会は本格的に外れだ。位の差が激しすぎて無礼講と言う訳にもいかないし、何より普段の夜会とは違いエーレンベルクをよく知らぬものは、イドルフリートを見かけるたびにあの託児所もどきに連れて行こうとするのだ。
 隠さなかったせいか余程顕著に態度に表れていたのだろう。わざわざ席を譲ってくださったコルテスが少し訝しげにエーレンベルクを見ていた。
 堅苦しい返答に嫌気がさす。子供っぽい態度かと思えば変なところで背伸びをしている。操る言葉も堅苦しい。
 これは知識が豊富ではあるタイプだろう。こういう輩は女性関係でからかうのが面白い、と相場が決まっている。

「なんだ、若いのに。枯れているのか?」
「俺たちの年齢では若いとは言わず幼いと言うんだ。部を弁えないと痛い目を見るぞ」
「部を弁えているような者はこっそり抜け出してはこないと思うのだが、違ったかい?」

 そうだ、そんな子供の世界を見ていたいのならこの煌びやかな世界から託児所へ逃げ帰ればいい。数多の選択肢を持つ癖にわざと目を閉ざす者は嫌いだ、と声には出さず呟いた。

「違わないが……、ばれなければ違うだろう」
「じゃあ私も公言しなければ済む話だ」

 コルテスが大げさに息を吐いた。溜息を吐きたいのはこちらだ。せっかく珍しく話のわかりそうな子供を見つけたと思ったのに、これではまだまだ発展不足だ。中途半端に知恵がある分、育てる楽しみがない。
 しかし、段々放っておいてはいけないような気になってくるものだから不思議なものだ。

「まぁ、それに。私が社交界で名を馳せる頃には萎れているだろう爺婆に媚を売るなど、価値があるなんて到底思えないからね」
「ほう? 顔を売るのが大切なのではなかったのか?」
「老害が? この私が顔を売る相手とするなど荷が勝ち過ぎる。考えるまでもない」
(ふむ。些細だろうと言葉尻に流されて話を忘れるような低能ではない、か)

 外れだ外れだと思っていたが、案外当りなのかも知れない。元々子供に対するコネは持っていないのだ。彼で失敗したならば、またしばらく子供を相手取るのをやめればいい話である。少し、この少年の成長に賭けてもいいかもしれない、と思った。

「私が顔を売るのは、君のような見る目があり、地位のある低能さ」

 自慢の金の髪で視覚的効果を狙う。容姿が淡麗である自覚はあった。せっかく生まれながらに得たアドバンテージなのだ、これを利用しないことこそが低脳だ。今度は流石の少年にも効いたらしく、少しばかり言葉を失っていた。

「……ちょっと待て、低能とは俺のことか」
「他に誰がいる?」
「貴様っ」

 人が優雅に降りたベンチから、コルテスは荒々しく飛び降りる。鷲掴もうとのびてくる無遠慮な手に囚われてやる義理はない。

「ほら、こちらの方が余程有意義で、かつ愉快だ!」

 イドルフリートは挑戦的な笑みを浮かべ、何時ぶりだかわからないが子供らしい仕草で駆け出すことにした。





 選帝侯の跡継ぎが死んだらしい。
 幸いなことに選帝侯と血の繋がった子供はおり、養子を取ったとしてもその血が途切れる最悪の事態は免れたようだ。選帝侯が跡継ぎを失うことでその地位を失うなど不名誉にもほどがある。
 引き取られた子供はまだ幼い女の子で、恐らく彼女を娶る者が実質的な後継者となるのだろう。栄光を掴まんと群がる男どもにいいようにされないか心配だが、エーレンベルクにそこまでして固執する気概はなかった。所詮は対岸の火事だ。
 加え、エーレンベルクにはその子供に同情を寄せる余裕などなかった。後見していた後継者が死ぬ。新たな跡継ぎの後見はことごとく断られているらしい。もともと単独で名を馳せていたわけではないエーレンベルクは寄る辺を失くしていた。もちろん、それを見逃してもらえるほど貴族社会は優しくない。

「次代を暗殺したと? いつ私が関わったと言う気なんだい。説明してくれ給え」
「貴殿は必要以上に国外の貴族と交流を持っていると聞く。外敵を手なずけて気仕掛けでもしたんだろう」
「その容姿だ、愛人にでもおさまるつもりだったのか? 血筋が残っていて残念だったな」

 わざわざ自分の首を絞めに掛かる低能がいるものかと思うものの、所詮理由などどうでも良いのだ。少しでも飛ぶ鳥を堕として自分のスペースを確保したいだけなのだから。
 低能どもの話を聞いても耳が腐るだけだとそっぽを向いた。それが気に障ったらしく、喚くように吠えていた気品の欠片もない貴族もどきが一層音量を上げる。案外暗殺は嘘などではなく、この者たちによって成されたものなのではないかという気がしてきた。
 短く動きやすいように切り揃えられている髪を一人の貴族が乱暴に鷲掴み、エーレンベルクの視線を無理矢理固定する。喉元を晒すように顔をあげさせられ不快で仕方がないが、ここで反論することはできない。ここで手を出せば嫌疑などではなく事実暴力をふるったという証拠をみすみす渡してしまうことになってしまう。

「もう侯のお耳にも届いている頃だろう。楽しみにしておくんだな!」
「ああ、今度こそ愛でられる準備でもしていればいいんじゃないか? 髪でも伸ばして女のフリでもして褥に忍び込めば、許してもらえるかもしれないぞ?」
「殺した代わりに私が生みますって? ハハ、傑作だな!」

 幸いなことは使用人を除けばもう家に誰もいないことだろうか。エーレンベルクは初めて人気のない自分の屋敷に感謝した。



 エーレンベルクを擁護する貴族はおらず、出来裁判とも呼べぬただ罪状を読み上げるだけになった裁判の判決はエーレンベルクにとってまだ幸いなものだった。
 所有する財の没収、爵位の剥奪、国外追放。国にも特に愛着はなく、友は元々国の外の人間だ。生涯貴族として生きていく気もなく、いつか航海士として海へ出たいと思っていたから爵位とて問題ではない。庶民でも海に出ることはできる。財の没収だけは痛かったが、使用人もそれほどいなかった屋敷で一人暮してきたのだ、どこかで家事手伝いでもすればいい。男の家事手伝いなどと奇異の目で見られる可能性はあるが。
 財とてエーレンベルクはいつも忘れてしまっているが、律義なコルテスが一々返してくる援助金があったかもしれない。もとはと言えば没収されるはずの財の一部であるだろうが、流石にそこまで追及の手は及ばないだろう。使ってしまった財など回収の仕様がない。

「……とりあえず、あの男の国にでも行くか」

 そういえば丁度もうすぐ約束の日だった気がする。
 普段は馬車で進んでいく道を、エーレンベルクはことさらゆっくりと歩み始めた。





「はぁ? 船旅に出たい?」

 訳が分からない男だとは思っていたが、こうも突拍子がないとまでは思っていなかった。イドの驚愕は知れていたのだろう、どんなに呆れた顔で見つめてもコルテスは気にした素振りを見せなかった。

「そうだ。お前、確か航海士になるとか言ってただろう?」
「確かにそうだが……、君は、法律家になるのではなかったのかな」

 そう言っていたからこそ自分は誘わなかったのだ。そうでもなければ海が、新大陸が気になって仕方がないように仕向けている。
 普段馬鹿だの低能だのとは言うものの、イドはこの男が有能なことを知っていた。

「土地を、民を知ることは悪いことじゃないさ。まぁ、あの頭でっかちが易々と了承するとは思っていないが」

 下級とは言えどもそもそもエスパニアは大国である。農作には向かない土地ではあったが、海を味方につけたイベリアの民は他の欧州を凌駕して栄えていた。
 コルテスが領民から絞り取り豪遊する貴族などではなくなるべく民を助けようとする人物なのだと知っている。続く言葉を想像するまでもないが、イドは敢えてコルテスに続きを促した。

「費用は自分で算出する気か?」
「……わかっているだろう」

 また貧乏人とでもからかわれると思っているのだろうか。イドが今まで自由に資産を使えたのは別口で稼いでいたからだ。イドの領民は少ない。だからこそ税は取れないが養う費用も然程掛からなかった。
 今となっては私の方が首が回らないと言うのに。これまで気取られずにいた己の演技力に関心しつつも、未だ気づかないコルテスの観察力のなさに苦笑が漏れる。もう貴族然とした格好を保つのにも大分無理が生じていた。恐らくこの邂逅が最後になるのだろう。餞別だとでも思えば、身分を隠した一人旅の旅費程度ならなんとか算出できなくもないだろう。
 イドが複雑な思いにふけっていることも知らず、コルテスは苦い顔をして切り出した。

「まだ俺が自由にできる資産は少ない。……一般人の路銀二人分くらい、お前の方で誤魔化せるだろう? 出資だとでも思って、頼みたいのだが」

 イドはきょとんと眼を丸くした。いたずらに成功したようにコルテスは質の悪い笑みを浮かべている。

「……やれなくも、ないが。二人?」
「ああ。俺と、お前の分だ」

 ふらりと一人旅に出るような質ではなかったと知ってはいたが、てっきり遊び相手の一人と遊びにでも行くのだと思っていた。頷くと信じて疑わない目を向けられるのは存外悪いものではない。
 それに、イドも同行すると言うのなら、最初で最後のモーションをかけてみるのもいいかもしれない。もしかしたら遠い未来にでも、コンキスタドーレスを後援する貴族と一航海士として再び出会えるだろう。最早確定した未来に見えるそれを思いながら、しかし実現しないのだろうと苦笑を零しかけた。今のイドに無理をしてでも賄うことができるのは、精々少なめに見積もった一人分だった。

「可笑しなことだ。私はまだ君に出資する話しか聞いていないが?」
「それはすまない。イド、どうか私をあの海原へと連れて行ってくれないか」
「気色が悪い、やめろ」

 自分が舞台がかった仕草をよくするものだから、コルテスに伝染ってしまったのかもしれない。まるで小さな子供に真似されたような気分になった。
 なおもにやにやと気色の悪い笑みを浮かべるコルテスを見ていられなくて、イドはふいとそっぽを向く。確かに女を口説くには多少芝居がかった方が口説きやすいとは教えたが、それを男に使う意味がわからない!

「……まぁ、どうにかして工面はしてやろう。ありがたく受け取り給え」
「ああ、助かる。いつか、必ず返す」
「期待しないで待っておくことにするよ」
「何なら利息でも計算しておいてくれても構わないが?」
「一体いつになったら君にそんな余裕ができるんだ。今まで通り、貸したまま耳を揃えて返してくれれば構わない」

 この男に夢を託すのも悪くない、そう思ったのが運の尽きだったのだろう。最後になるのだろうこの投資を、みすみす無駄にするつもりは毛頭ない。必ず、海で逢おうと一人誓う。
 ひらひらと手を振って、コルテスの顔を見ることなくエーレンベルクは背を向けた。





「探したぞ、エーレンベルク」

 コルテスを屋敷からほど近い港へ見送った直後のことだった。
 まるで背中だけ冬に見舞われたようにひんやりと冷たい。コルテスが背を向けていたのは幸いだっただろう。もう彼は後ろを振り返らずに隠れるようにして屋敷への途へ足を踏み入れていた。

「期日はまだだったと思うが?」
「何、少々早まったところで誰も気にはしまい」

 襟元を後ろから掴み、人形か何かを引き摺るようにイドを引き倒す。なんとか無様に転げることだけは回避したものの、男の腕に阻まれて顔をあげることができなくなった。

「私は大いに困る。必ず利子も支払うと誓っただろう。不履行だ!」
「お前が神を信じていないことは街中で有名じゃないか、誰が信ずるものか」

 何か嫌な予感がして、イドは男の腕を掴んで襟元を離させようとする。しかし男の方が若干速かったらしく、まだ鍛え始めて間もない腕は簡単に後ろ手に一纏めにされ、顔から斃れるように地面へ押し付けられた。立ち上がろうと膝を立てるが、結局僅かに腹が浮いただけで腰を踏みつけられ地面に崩れ落ちることを余儀なくされる。
 口内に広がる土と何かの屈辱的な味と状況に憤り男を下から睨みつけるが、男はそれを一笑するだけで楽しそうにイドを見下ろしていた。

「流石、元昼行燈貴族様だけあって素晴らしい体術でいらっしゃる」
「……荒れくれ者にはどんな宮廷武術も敵わないさ。優雅さの欠片もない」

 癪に障ったのだろう、男は襟元を離しイドの短い髪を鷲掴んで石畳に叩きつける。たらり、と何かが額から垂れる感触が一瞬ぶれた意識を鮮明に支配した。

「どうせ身寄りもないんだろう。あんな大金何に使ったのか知らないが、貸してやったのは事実なんだ。親切に職場まで紹介してやるんだから、ありがたくついて来るといい」

 男はイドの返事も待たず、首に掛かったロザリオの鎖を引いた。



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