私のよく覚えていない友人について


 私がクーバ島より二度目の遠征に参加しようとしたときのこと。
 最初に参加した遠征は放任主義もいいところで、ほとんど隊長や兵士たちが自力でかき集めたものだけを手に向かったようなものでしたが、この二度目の遠征は多少総督からの援助がありました。前回の征服の際買い求めた二隻の船の他、もう二隻を総督が自身の金で買い求めこの遠征へ充ててくださいました。もちろん、食料や武器は各々が自らの財産を片付ける片手間に買い求めることになりましたが。
 さて、前回の遠征は散々なものでした。何より金がないからこそ向かおうというのに、新大陸に向かう為にまず金が必要なのです。私達は必需品の他にも船や航海士を自分たちの金で自ら雇い入れることになりました。しかし、今回の二度目の遠征は違ったのです。前回に同行した航海士の一人が筆頭航海士として、その他にも三人の航海士が最初から同行することになりました。私達は懐の心配をする必要も、そもそも航海士を求めて街を歩く必要もなくなったのでした。
 三人のうち二人はよく覚えています。よくとは言ったものの名前だけで、実際に詳しく知っているのは筆頭航海士だけでしたが。
 靄がかかっているかのように何故かあとの一人が思い出せず、私は参加した遠征を纏めたものに已む無く彼の名を書き入れることを諦めました。とても残念だったのですが、なるべく正確にありのままを記述しようと心に決めた以上、おぼろげな名前を書き込むわけにはいかなかったのです。
 しかし、この四人の航海士のうち最も個人的に交流があったのは彼だったのでしょう。姿かたちはよく覚えています。金の髪に紅のリボン、おおよそ海に生きるとは思えない白い肌。よく回る口と言い争うのは殊の外楽しく、彼とは戯れに口論を交わすこともありました。
 薄情なのかもしれません。けれど忘れてしまったものは仕方がないのだと割り切りました。元々私個人の身の周りで起こったことについて細かく記述するつもりはなかったのですから、丁度良かったのかもしれません。だからこそ、私は彼についての記述は記録ではなくただのメモ書きに残そうと決めました。彼の気性を思えば、これでよかったのでしょう。たとえ記述であろうとも、私には彼が綴じられるほど大人しい性格ではなかったことを、まず記そうかと思います。



 四隻の船に、一人の総隊長と三人の隊長。そして四人の航海士。200人を超える兵士たちにとって、両手の指で足りる指揮官たちは雲の上の存在にも等しいものでした。もちろん作戦中に近くに寄ることも物資の調達の際に同行することもありましたが、言ってみれば彼らが一人一人を気にかけるにはあまりに兵士の数は多く、そして新大陸は危険な場所でした。命を預け合うこともあるけれど、決して名を忘れられたことに憤慨できるほど近しいものではありません。
 そんな中、私が彼と親しくなったのは偶然や運命によるものが大きかったのだろうと思います。

「君もあの遠征に加わっているのかい?」

 何かの買い物に出ていた時のことだったと思います。塩漬け肉だったのかラム酒だったのか、脂だったのかはたまた布だったのかは覚えていません。しかし、かけられた声に振り返った時に目に入った、まさに黄金を象徴しているかのような髪だけはよく覚えています。

「ええ、そうですが。貴方も?」
「ああ。これからしばらく、よろしくしてくれたまえ」

 そう言って彼は私に名と愛称を尊大に告げました。けれども今となってはどうやっても彼の名を思い出すことができません。当時は酷く印象的で生涯絶対に忘れ得ぬ名前だとまで思っていたのですが、きっとこの先も彼の名を思い出すことはないのでしょう。
 名乗られたからには名乗り返さないわけにはいかず、彼とは違い私はその名のみを口にしました。彼は二、三度私の名を口の中で転がすと、何か心当たりがあったのかその容姿には似合わない子供っぽい仕草で手を打ちます。そして合点がいったとばかりに頷きはじめました。

「ああ、あの……。確か、今は二度目の遠征だったか?」
「ええそうですよ。よくご存知で」
「勿論だ。あともう一人と君については、特別、よく知っているつもりだ」

 悪戯っぽく笑う顔とは対照的で、どこか彼の語調には堅いところがありました。どこかの訛りの様で……丁度、帝国の言葉が持つ印象に近かったように思います。殊更子音とアクセントが強いものでした。けれども話す言葉自体は聞きなれた王国のものだったので、恐らくこちらに移住して長いか親戚筋に帝国の者がいたのかと思います。イベリアの王国以外の者たちも我らが陛下の下遠征に向かうことは珍しくはあれど皆無だったわけではなく、もしかしたら彼もその一人だったのかもしれません。名もわからない今となっては調べることすら困難ではありますが。
 まだ私は楽しそうに笑う彼が航海士であるとは知らず、そしてまた無様な姿を晒してまで生に縋らなければならない遠征にこの見た目で参加したことがあるとは思えませんでした。きっと初めて遠征に参加するいわば後輩のようなものだと思っていました。その不遜な態度が何時まで続くのか見物だなどと、どうしようもないことを考えていたことを覚えています。

「もう一人? ああ、総督ですか?」

 私は思い当たる親戚を挙げましたが、彼は面白そうに笑うだけで特に肯定も否定もしませんでした。けれどきっと、ええ私も彼と似たような質だからこそわかるのですが、この二人ではなかったのでしょう。

「自分で考えてみたまえ。君はそんなことも教えられなければならないような低能ではないだろう?」
「まぁ高々初対面の人間の世迷言がわからなかった程度で低能扱いされてはたまりませんね」

 彼は私の答を聞くとたっぷり数秒は目を丸くしていました。きっと今まで彼に逢った人たちは皆素直に考え始めるか馬鹿馬鹿しいと負け惜しみのような言葉を吐いたのでしょう。考えこむでもなく立ち去るでもない私の反応が余程珍しかったのか、彼は一瞬泣きそうに顔を歪め直ぐに掻き消すかのように笑い声をあげました。

「面白い! そうだな、私の間違いだったらしい。君も低能どころかとても有能なようだ!」
「それはどうも」

 私がそっけなく返事をしても彼は気にした様子もなく、結局上機嫌なままその日は別れることになりました。
 そして私が再び彼と逢ったのは、ただの一兵士と航海士として立った港でした。



 彼は航海士としてはとても有能でしたが、同時に異端であると私は思いました。航海士とは常に商売道具の錘を手にして、船の上からでは到底見つけられないような浅瀬を常に警戒しては船旅の安全に努めようとしている者、とされるのが一般的です。風を読むことや積荷の管理もその仕事に含まれるはずで、陸を見つけた時はその上陸を決める会議で知識人として力を持っていました。今回の筆頭航海士が島だと主張したことによってその後の航路がおおよそ決まったこともあります。
 しかし彼は海ではなくよく空を見上げ、錘ではなく砂時計を持っていることが多かったように思います。暇さえあれば距離を測り、そしてふと思い立ったかのようにそこに浅瀬があると船隊に警鐘を発したりとよくわからない人物でした。恐ろしいことに彼が言う場所には必ず浅瀬があり、それが数度重なればもう誰も確かめようなどと言いだすこともなくなっていました。
 きっと私達にとっては新しい航路であろうとも、彼にとっては庭先のようなものだったのでしょう。どんなに隊長が面白がって抜き打ちで船の位置を確認させようとも、彼は少し太陽の位置や星の位置を確認し手元の砂時計に視線を落とすと直ぐに言い当てていました。まるで呪術だと司祭が騒いだこともありましたが、種を明かされてみれば簡単なこと。彼は空に見える太陽や星の角度と、砂時計で測った時間から割り出した距離から場所を弾きだしているそうでした。それでも大がかりな機材なしに瞬時に割り出す彼の頭の回転の速さと勘は神がかっていると思います。簡単に角度や距離と言いますが、本来それは色々な機材を用いなければ到底測れないものでした。

 新大陸での災難は別として、ひとたび船に乗ってしまえば私達は神の使いにでもなったかのように何の障害もなく進むことができました。だからこそ余計に何度も殺されかける破目に陥ったことが嫌な思い出として蘇ります。銅を金だと思って大量に持ち帰ったことくらいしか、笑いながら思い出せることはないでしょう。
 しかし個人的なこととなると話は別で、こっそりと持ちこんだ蜜柑の種が早々に彼に見つかってしまい、面白がって一緒に隠れて植えたことも気分のいい思い出です。その後に隊長に見つかり単独行動を叱られた際、彼が単独ではなく二人だったと言い訳して余計にこっぴどく叱られているのを横目で見ていたことも愉快でした。
 一度目の遠征とは違い少しばかり心に余裕が残った遠征は血生臭くとも感慨深いものでした。そう時をおかずして次の遠征の話をできるくらいには、誰もかれもがゆとりを持っていたのでしょう。話題が尽きれば直ぐに遠征へと話は移り、そこには金に困った兵士たちの姿は最早ありませんでした。

 勿論私も彼と次の遠征の話をしました。けれども彼はあまり乗り気ではなく、困ったような笑みで盛り上がる兵士や隊長、他の航海士たちを眺めるばかりでした。
 きっと私にとってそれほど辛くなかったと言えど、彼にとっては苦痛だったのでしょう。儚げな笑みさえ浮かべられてしまえば、私はもちろん他の者たちも彼を無理に誘う気にはなれませんでした。
 遠征に行くからには隊長がいないことには無理な話で、自然と話題は誰が隊長に選ばれるかといったものに変わっていきました。金の代わりに銅を掴まされた総隊長を隊長の一人が無能呼ばわりしたり、特に名も上げていない一人の兵士が次こそは私だと意気揚々と名乗り出たのに皆が一斉に彼は誰だと惚けたりと、とてもまともに考えていなかったように思います。実際のところ、口に出していたほど次の隊長に興味があったわけではないのでしょう。酒が入っていたこともあり、その肴に誰もが誰かを名指ししたり名乗りを上げたりしているようでした。
 私はふと彼の居心地が悪くなってるのではないかと思いました。この中であからさまに次に参加する気はないと態度で示したのは彼だけです。当然誰が次の隊長かなどという話題に入れるはずがありません。無神経だったかと私が別の話題を持ちかけるために彼に話しかけると、意外なことに彼は私達の話題に興味を示しました。

「次? ああ、決まっているだろうさ」

 彼の声はそれほど大きなものではありませんでしたが、一斉に皆の注意が向いたのがわかりました。きっと皆の脳裏には未来を見るかのような彼の航海技術が過ぎっているのでしょう。かく言う私もそうでした。本当に未来を見ているのだと言われても信じられそうな技術を持つ彼の言葉が、まるで信託か何かのように思えたのです。
 俄かに静まり返った酒場に気づいているのかいないのか、彼は酔って赤らんだ頬と眠たげに半分閉じられた目を誰にも向けることなく虚空に向かって朗々と話し始めました。

「ある一人の男さ。イダルゴ出の新婚、羨ましい限りな男。富も名声も、そしてそれに見合った力も頭も持った。有能な輩さ」

 妬ましそうに、しかし最後の一言はまるで恋焦がれるローレライのように宣言した彼は、それきりくたりと力を抜いて机に伏してしまいました。酔いが回りきったのでしょう。
 どこかこれまでの名乗りや他推とは違ったそれに、まだ皆は呆けているようでした。まさか自分たちが彼の言った男ではないでしょうに、皆が皆自分のことを名指されたかのように恍惚としていたことを覚えています。
 しばらくするとその空気も徐々に薄れ、やがては先ほどまでのようにただの酒場に戻っていきました。彼が寝てしまった以上、私が彼を気にかける理由はありません。どうせ彼の他にも幾人もが潰れることになるのです。明日の朝まで貸し切った店で遠慮をするような者などいませんでした。
 彼が船を降りるのなら、私が彼と会うのはきっと明日の朝が最後となるのでしょう。二日酔いで不格好な別れの挨拶などしたくもありませんでしたが、翌朝私はそれが残念ながら杞憂だったことを知ってしまいます。朝一番に目が覚めた者ですら、彼の立ち去る姿は見られなかったのだそうです。

 そして、私は二度と彼と逢うことはありませんでした。



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